なんとなく自分史

時間ができたので、小説風な感じで少し
振り返ってみようかと・・(笑)
時代は前後していきます。

仕事①

今日は少し不整脈で体調が悪いので、今月からテスト導入している在宅勤務にしてもらった。


通勤に往復約3時間かかるから(汗)身体にはとても良い。


今の会社は脳梗塞発症後に障害者雇用で雇ってもらっているので、体調面では気を使ってもらっている。ありがたい。


10代から働いているので、もう30数年(汗)後何年働かねばならないのか…


今の私には目標がない。2度結婚して2度離婚し今家族はいない。持ち家も手放したし、離れているが二人の息子も一人は成人しもう一人は来年大学生。幸い今でも息子たちとは交流がある。


何か目標を立てたいのだが、何がいいのか…

幼少期①

自分は東京オリンピック開催の数年後に東京の下町で生まれた。


5人兄弟の長男の父と一人っ子の母と兄、母方の祖父母と母方の家で6人で暮らしていた。


祖父は幼稚園時代、祖母は小学校低学年時代になくなってしまって、以後4人暮らしになった。


父の仕事は知らなかったけど、昼頃起きてきてスーツで家を出ていき夜中に帰ってくる生活だった。なので平日に顔を見ることはなく、日曜日の夕飯時だけ一緒にご飯を食べ、話しもその時だけだった。当時は学校も土曜日あったし、会社も仕事あった時代だった。


子供から見てもスーツ姿の似合う父親でなんの仕事してたのか知らなかったけど、カッコ良かった。


小学校4年生の時に家を建て替えて初めて自分の部屋を貰った。

その頃が一番裕福で幸せな時だった。


そんないい時は直ぐに崩れていった。


その後、毎月、電気、水道、電話、ガス…どれかは料金滞納で止められていたか催促の電話の嵐(汗)電話・訪問で居留守を言うことが日課だった。


五年生の時、朝起きて居間に行くと知らないスーツ姿の人が数人居たことが何回かあった。今思えば取り立て屋だったんだろう…

再開

すっかりここのことは忘れていたのですが、なんとなくたどり着いたらまだ自分の文があった(汗)


脳梗塞退院後だけあって前の記事はやけにカッコつけてる(汗)


今は暇な時間が多くあるのでまた再開していこうと思います